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【5月26日】アメリカ初の大統領弾劾裁判──たった1票が歴史を変えた日

🔔 たった1票で無罪──アンドリュー・ジョンソン弾劾裁判の結末

1868年5月26日。
アメリカ合衆国で史上初の「大統領弾劾裁判」の評決が下されました。

弾劾されたのは、第17代大統領アンドリュー・ジョンソン
その裁判で、わずか1票差で罷免を免れたこの日は、アメリカ政治史において重大な分岐点となりました。

なぜ彼は弾劾され、なぜこの判決が歴史的だったのでしょうか?

 

アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンの彫刻された肖像画

 

 

🧩 南北戦争後の“復興政策”が火種に

ジョンソンは、1865年に暗殺されたエイブラハム・リンカーンの副大統領から昇格した人物です。
しかし、彼は南部出身の民主党で、奴隷制度に同情的だったため、リンカーンの掲げた「寛容な再建策(Reconstruction)」とは異なる道を選びました。

彼の政策は、南部諸州に対して比較的寛大すぎる処遇を取るものでした。
この方針は、奴隷解放と黒人の市民権確保を推進したい**共和党主流派(急進派)**と真っ向から対立しました。

特に、**「南部の旧支配層が再び力を持つこと」**を危惧した議会は、ジョンソンの行動を警戒し始めます。

 

 

 

🧨 弾劾の直接の引き金「テニュア法違反」

弾劾の引き金となったのは、**「陸軍長官エドウィン・スタントンの解任」**でした。

当時、議会は「テニュア・オブ・オフィス法(Tenure of Office Act)」という法律を制定していました。
この法律では、「上院の承認なしに政府高官を解任してはならない」と定められていたのです。

しかしジョンソンはこれを無視し、共和党寄りのスタントン長官を一方的に解任。

これを受け、議会はついに動きます──
「ジョンソンは違憲行為を犯した」として、弾劾決議を可決
上院での罷免裁判へと進むことになったのです。

 

 

⚖️ 歴史を分けた「たった1票」

1868年5月、アメリカ上院で弾劾裁判が開廷。

罷免には、**上院の3分の2の賛成(当時は36票中24票必要)**が必要でした。
しかし、実際の投票結果は──

❌ 罷免賛成:35票
✅ 無罪支持:19票

1票届かず、ジョンソンは罷免を免れたのです。

このとき、「無罪」に投じた共和党議員たちは後に激しく非難される一方、彼らの行動が**「三権分立を守った」と再評価**されることもあります。

 

 

🏛️ この裁判が残した“問い”

この出来事は、アメリカ政治にいくつもの深い問いを残しました。

  • 大統領の権限とはどこまでか?

  • 議会の多数派が政治的に気に入らない大統領を追放するのは許されるのか?

  • 政治と法のバランスをどう保つか?

これらの問いは、のちのニクソンの辞任劇クリントンの弾劾裁判、そしてトランプの弾劾劇へと連綿と受け継がれていきます。

 

アメリカ合衆国議会議事堂 7.jpg

 

 

🏛️ もしアンドリュー・ジョンソンが1868年に罷免されていたとしたら、どうなっていた?

 

アメリカ史上初の「罷免された大統領」誕生(しかも100年以上早く)

実際に「罷免されたアメリカ大統領」は、現在に至るまで一人もいません(※辞任したニクソンを除く)。
ジョンソンがその初例となっていたら──

  • 弾劾のハードルが下がる前例になっていた可能性が高い

  • 大統領制に対する議会の権限が強まり、「半議院制化」するリスクもあった

つまり、アメリカにおける「三権分立のバランス」が大きく傾いていたかもしれません。

 

 

② 副大統領がいなかった!後任はだれ?

ジョンソンには副大統領が不在でした(リンカーンの死後に昇格したため、副大統領職は空席のまま)。
そのため、罷免された場合は上院仮議長が大統領代行を務めることに

当時の上院仮議長は**ベンジャミン・ウェイド(Benjamin Wade)**という急進的共和党員で、黒人の完全な市民権・土地再分配・南部への制裁強化を主張していました。

🔥 もしジョンソンが罷免されていたら──

→ ベンジャミン・ウェイドが大統領代行に
→ 南部への統治はもっと強権的になり
→ 「黒人の土地所有」や「元奴隷主の財産没収」など、急進政策が一気に進んだ可能性もあります

 

 

③ 南北対立の“火種”が再燃していた可能性も

ジョンソンの罷免により、南部の元連邦支持派は
「やはり北部は我々を抑圧するつもりだ」と感じ、
新たな内乱やゲリラ的抵抗運動が起きていた可能性があります。

特に、クー・クラックス・クランKKK)などの白人至上主義運動が
より激化したかもしれません。

 

 

憲法修正や制度改革が早まったかも

ジョンソン罷免を契機に、「副大統領不在のまま大統領が辞任・死亡・罷免した場合の制度不備」が問題視され、
もっと早くに大統領継承法副大統領任命制度(後の修正25条)が整備された可能性もあります。

 

 

🧭 総括:「歴史の偶然が制度の形を決める」

ジョンソンが罷免されなかったことで、アメリカの大統領制は「弾劾は極限の措置」としての重みを保ちました。
もし罷免されていたら、弾劾の“政治的利用”がより容易になり、アメリカの大統領制は今とは違ったものになっていた可能性があります。

 

アンドリュー・ジョンソンの弾劾裁判は、単なる「政治闘争」ではありませんでした。
それは、大統領制という制度が耐久力を持つかどうかを試された瞬間であり、
また、アメリカ民主主義が「1票の重み」で動くことを証明した日でもあったのです。